新府内録 社長の窓

第46回コラム「デバイス新時代②:セオリー再定義して、知のプラットフォーム形成を目指そう!」

前回コラムでは、デバイスを用いるデジタルビジネスの拡張性(可能性)をテーマに述べさせて頂いた、シリーズコラムの第2回目は川上の視点から国内半導体分野が生き残る道となりを、いちビジネスマンの視点から回顧しつつ自由に展望してみたいと思います、尚、技術そのものの解説は各経済メディアなどのレポートを参照頂ければ幸いです。
 

1970以降市井の道具として当初白物家電や電卓、ときには自動車(燃料噴射やABSなどの制御技術)で先ず導入されたいわゆるエレクトロニクス分野が、最初にデバイス(基板&実装技術)として注目されたのは、日産自動車が1980年にテクノロマンとパワーエリートを標榜して新発売の「初代レパード」だろうと思います。


「技術(オリエンテッド)の日産」として、華々しく登場した初代レパードを当時親族が山口県日産販売店勤務していた関係で帰省時に、棚にあった本カタログを閲覧した時の強いインパクトはいまだ忘れません。

 

※ 写真は日産のカタログより引用
 

特にアイボリーへ彩られながら、計器盤内デジタルゲージで表示された燃料計や同じく表示されたオーディオ類、ダッシュボード正面に表示される鮮やかな警告灯類を介した室内写真を見た時「何て先進的なんだ」と感嘆したのを、よく覚えています。

 

※ 写真は日産のカタログより引用

ちょうど、欧米が先行していた当時で言うエレクトロニクス分野に国内家電(重電)メーカーが本格的に取り組み始め、現在のNECや富士通などがスーバーコンピューターのノウハウを生かした、プログラミング目的でデスクトップの「パーソナルコンピューター」などをリリースした事は記憶に新しいでしょう。

誕生期の1970年代を経た1980年代は同じくして、大手メーカーの業務を請け負うサプライチェーンが地場で醸成した時期と重なり、更にはバックエンドプロセスでそのフープを特許技術用いカッティングすると言う、気鋭の創業者が発す先取の独自技術で発展を遂げた専業ベンダーも存在、現在も経営形態を変化させながら活躍しています。


そのベンダー企業の発展と歩調を合わせるべくして、祖業の立場より就職前からそのもの無償で作業フォロー(半ば強迫観念です!)、勤め始めてからの本格的なビジネスアライアンス推進に携わり、県内企業初の株式上場(現在は上場廃止)を始めとしたモノづくり分野として、長期間イニシアチブを発揮出来た事は創業者の類まれな人格と相まり、振り返って非常に幸せだったひと時です。


それは自ら現在取り組んでいる事業活動に、多く生かされていると確信しています。

1990年代以降、国内半導体分野が世界のトップに君臨していた時と同じくして大手から地場中小に亘りこぞって出展していた、幕張メッセ開催でしょうか~あの「セミコンジャパン」に多数出展しており、何度も画策しながら当時社内事情に鑑みただの一度も出席叶わず当時社長(実父)と幾度ケンカした事も、振り返れば若気の至りと言うか良い思い出です。


そう言う時代ですけど、盛者必衰と言う例えが適当か否か半導体分野に於ける大きなターニングポイントは、意外と身近なところから訪れて来ました、その貴重なエピソードを皆さまへご披露したいと思います。

本コラムご覧の皆さまならご承知の通り、自分の出目祖業は半導体素材技術に欠かせない「めっき&表面処理分野」でした、そのセクターで大分に来てから長年ギブアンドテイクのスタンスにより長年相互切磋琢磨しました、御同業さまの代表取締役社長が就任する1993年の事です。
 

遡ること1970年地元で操業開始から、そのサプライチェーン(ティア―1)として23年取り組んだ半導体分野向けの外装めっき分野から、撤退する(正確には生産"孫"会社への事業譲渡)と新任ご挨拶に先立つ名刺交換の席上、自分へこのように告げたのです。


告げられた当初はもちろん驚いた一方で、即座に量産ベースによる「高度化目的の設備投資負担と低コスト生産技術の両立は、(地場にとって)やはり無理なのか」と半ば愕然とする心境だったのを良く記憶しています。
 

大きな素材生産拠点を除けば、1980年から90年代にかけて地元(大分市)の大きな生産工場は間違いなく半導体関連分野の生産プラント群でした、そこで働く人々のさっそうとした物腰をある時は直に、またある時は移動中の車窓から拝見する度、少なからず尊敬と言うよりは「嫉妬」の念が強かったと思います、繰り返し何分若かった故の浅ましい心境、その裏ではこの様な相反する状況での切迫した経営判断が迫られていたのです。

こう言った素材系サプライチェーンを存続させる道として(中略)、ある時は生産拠点の日系企業に先ずは従う海外シフトであり、またある時は自社への能動的目的による研究開発体制強化だったりします、いずれにしても従来から家電向けなどの軽微な基板技術から、本格デジタル分野へのパラダイムシフトに合わせるには避けて通れないプロセスみたいなものです、この企業が行った経営判断以降の国内半導体分野専業ベンダーが合従連携を繰り返しながら、現在に至るのはご承知の通り、如何に「先取の英断」だったか当時地元紙経済面にも掲載されています。

ちなみに合従連携への取り組みは、特にウエハーからデバイスをカットした次からの「バックエンド=後工程」で長年顕著になっています、国内生産拠点空洞化要因の最たるものではないでしょうか、もう一つの地場後工程受託ベンダー企業の末路もしかりです(詳細割愛)。


そこで今回セミコンジャパン2020バーチャルの主役だった、ウエハー製造を主とする「フロントエンド=前工程」専業ベンダー群出展による、現在世界市場での国内半導体分野勢力分布に繋がって行く訳です。

 

このセクターは間違い無く台湾含めた中韓市場抜きには成立し得ない、また当該地域(敢えて新興国と呼称)プロパーの猛烈な向上心と覇権主義の賜物と言えるでしょう、今風で言うなら「日本をリスペクトする」でしょうか。

我々が決して負けられない「アジア先駆者としての強い自負」を意識せざるを得ない瞬間、半導体分野が単なる市場競争とは(自動車分野とも違い)遥かに次元の違う領域である所以です、もはや中韓の半導体生産技術(特にフロントエンド)はディスプレイ系携帯端末含め、事実上日本国内の装置産業に支えられる事実を知るべきと思います。(←以上タイプミス・普通の書体でOKです)


各々生産活動には当該国の税制的側面と、就業人口や相対的年齢比率構成に加え何より「開発エンジニアのやる気と野心」が全てと思います、それら踏まえた時に今日の立ち位置は必然的と言うか「宿命」だったと言わざるを得ません、詳しい分析は識者に一任するとして悲しいかなこれが現実の姿です。

一度成功体験を味わった理系半導体エンジニアは更なる活躍の場と、待遇を求めて異国へ希求すると言う既成事実を図らずも再認識する結果。


そんな時代に、国内半導体分野をある程度再興させる術として、


〇公設・民間での「ミニマルファブプロセス」を引用する、新しいデバイス技術開発活性化(Z世代がイニシアチブ)


〇クラウドシステムのオンラインワーク定着に呼応した、日の丸印半導体プラットフォームソリューションの創出(韓国・台湾メーカーによる実装技術でPCなどへ展開、新しいファブレス)


〇デジタルトランスフォーメーション(DX)時代に向けた、国内スマートシティ構築などへのグループ研究活動


少々大胆と思うのは自分だけでしょうか、要するに当該分野については「知の生産拠点」を目指すべきと言うご提案です。

現在は自動車分野に於ける各種センシングとコネクティッド技術で、車載向け半導体生産では最後の砦的一定の効果が出ている国内(デバイス)サプライチェーン。


そのいずれも出展を見合わせた中で、専業ベンダーに交じりカーメーカーで特設パビリオンにより唯一出展した日産自動車に、自分は特に初代レパードから抱いている本来の技術オリエンテッドな(アーバンライク的クールテイスト)イメージを重ね合わせ、とても嬉しくなりました。
 

更に言うなら、次世代自動車についての議論は依然として結論出ないまま理念先行的政方面の意向に左右される傾向は相変わらずな一方、テスラの絶妙なマーケティングに誘発されながら自ら信じる道を、一筋にEVで目指す日産のスタンスはらしく(対照的かつ)非常に潔いと思うし、トヨタとの双璧は(HONDAでもイイけれど)やはり日産でありたいと思っています、今回の混乱はこれで最後になるでしょう~ここを乗り越え再び日産イズムを見たいです。
 

オンラインとは言え、今回長年宿願であった「セミコンジャパン2020バーチャル」にキャリアスタート以来初参加出来、期待通りの内容に来年に向け新たな目標が見えました、世界市場でデバイス市場シェア低下の主因、東京エレクトロンが世界一の装置技術ソリューションを持つ主因、今回のみだったか地場メーカー出展社ゼロ(その中でビジネスアライアンスグループの出展は、まこと特筆です)に裏付けられる、大手中堅専業ベンダー主体の勢力構図等々(以下割愛)。


東京2020大会を経た来年末にはオフライン開催も控える中、次回は是非会場で直接そのテクノロジーへ触れてみたいと決意を新たにした、2020年年末のひと時です。


※ 本コラムは個人の主観も含みます

 アガワ・ハイテックソリューションズ株式会社
代表取締役社長 阿川 丈生