新府内録 社長の窓

第2回 不肖阿川の自己紹介から

アガワ・ハイテックソリューションズ株式会社の阿川です。
今回の起業ほど自分自身の真価が問われている事は間違いありません、会社経営並びに業務関連は追々弊コラムで明らかになって行くとすれば、個人を知って頂くべくプロフィール紹介も欠かせないであろうと案じまして、今回コラムの内容と致します。

それでは・・・当方こと阿川 丈生(あがわ たけおと申します)の自己紹介から。

1970(昭和45)年7月17日生まれAB型、婚礼経験が全くない独身の満45歳。出身地は大分県大分市大手町ですが本籍地は父親の関係で山口県美祢市伊佐町伊佐になっています。

両親の生活基盤が安定していない時代の幼少時はクルマで、当時高速道路が全く無かった東九州の国道を5時間掛け美祢市から大分市へ幾度も往復したので「どうして長い時間、クルマに乗ってるんだろう」と、物心がついた途端しきりに思ってました。
当然程なく出来たばかりの会社(後に前職の職場となったところです)に、連れられては暇なので一つのところに落ち着かない性格上~設備を触っていく内に塩酸槽に転落したり、研摩機のスイッチを勝手にONして頭を強打→いずれも救急車で運ばれる事を立て続けに経験、両親からすごく怒られた以後は黙々を仕事の加勢を小学校中学年までさせられました。まぁ普通じゃないですよね・・・。

そのせいか凄く泣き虫になってしまい、特に小学校でもよく泣いては同級生に冷やかされ(いじめではないのですが、当時の友達に聞くとそれを面白がっていたそうです)、なんともかんとも、その後は生真面目な性格が幸いして高学年は学級委員長をよく”させられて”いました。

そんな負のふり幅を一気に戻してしまったのが、中学入学後程なくもらった異性からのラブレター。これで妙な自信がついてしまい当時の吹奏楽部在籍経験と相まって、引き続き学級委員も務めていたので、元の明るいが一つのところに落ち着かない性格へと逆戻り・・・。
それでも記憶だけは妙に優れていて、これまでの特に父親からの言動に鑑み何となく家業を継ぐんだろうと思い、職業系高校卒業時に理(工科)系大学進学を目指すも学費が足らずあえなく断念、結果的に火中の栗を拾う覚悟で前職の会社に新卒第一号で入社、以後社長勤めも入れて青春時代から実に23年間勤務しました、その後は皆様ご承知の通りです。

そんな自分の性格は、長所かどうかどんな事でも思い立ったら周りも見えない熱血漢、そのせいか冷静になれず失敗することもしばしば・・・、人前に立つのが慣れているせいか雄弁なところ、整理整頓を徹底的に行うそのくせ他も含め行動するまで何気にぐずぐずしてしまうところが短所。
育った環境がそうさせたのだろう、独りでに自分自身で物事を進めるタイプにて人様の言う事を聞かない失礼なオトコかも、その一方で血液型のせいか意気に燃えて動くタイプだったりします。

こんな歳になって書いてしまうのも恥ずかしい、好きな女性のタイプは教養豊かで会話の切り返しがごく長けているところ、あと「万人が認める美人で自分に対し更なるおせっかいを焼いてくれるところ」、芸能人で言えば最近婚約した北川景子さんでしょうか、もちろん結婚願望はあります~と言うか半ば婚活目的の起業と言えば、少々意味深かなんて。

好きな食べ物は、具の無いカレーライスとあんぱん。嫌いな食べ物はきゅうり~虫になった気分になってしまう自分が許せないので!
座右の銘は「人事を尽くして天命を待つ」「果報は寝て待て」等々、尊敬する人物は歴史上から:幕末の初代奇兵隊頭領高杉東行、ビジネスから近年に於けるトヨタの中興の祖:奥田碩、以上総合した上でその生き方が自分の羅針盤になった亡父です。
今回のプロフィールはごく一部に過ぎませんが、機会があれば益々磨きを掛けた上でご紹介をと考えています、どうぞお楽しみに。

── 今回コラムの骨子 ──

  • 結局のところ「蛙の子は蛙」だったと言う、自分自身の分析。もう少し捻りがあっても良かったかもで、今後に含み。
  • 未婚者だったから、これだけの人生だったろうと言うところ。今後に教訓を。
  • ケンカもよくしたけど、良い相談相手だった父親をこれからも見習って行きたいと言う、最後はその回顧録、振り返る事で新たなスタート切る強靭な志を。
 アガワ・ハイテックソリューションズ株式会社
代表取締役社長 阿川 丈生