新府内録 社長の窓

第20回 スペシャル第二弾:まだ見ぬ景色を求めて

気が付いたら弊コラムも、早20回を数えました。
自らの会社運営も去ることながら、曰く「どうにかやって来たかな」と言うのが、現在の率直な心持ちです。
前職の退任から既に5年経過してます、新卒入社から一般社員で18年、更に(前職の)創業社長急逝から、社長に就任させて頂き…あのアクシデントで辞任に至るまで、 5年余り~現在3代目として自分の在任期間に近づきつつある社長ら役員も含め、あの様々な逆風下にあったにも拘わらず、見事に事業運営を継続するスタッフの皆さまや、 何より今回の事象にいち早く、理解を示して戴いた親族御一同には、心底感謝せずにはいられません、まあ…創業社長のワガママで、勝手に立ち上げた企業ですから。
こちらではありますが謹んで、御礼を申し上げます、本当にありがとう!。

改めて振り返って見ると、本当に全ては自分のつまらぬ甘えだったのかなと、思います。
幼少期から時に罵声を浴びせかけられながら、加勢をさせられた一方で、一生懸命に働き続けるその姿が、当時の時代背景も鑑み~とても眩しく見え、 更には当時年上ばかりのお客さまと、大人びたコミュニケーションがとても有意義で、「大きくなったら、いつか一緒に仕事をしたい」と、正に青臭く志を懐く様になりました。

その願いは実現する事になるのですが、前職企業入社最初の業務だった、進出企業(現在は閉鎖しました)に対する大クレーム対応を始め、 2年後に大口の業務を獲得するまでは、苦難の連続だったと記憶します。
創業社長も人一倍業務は、自分に対して厳しかった反面、着実な事業実績を認めて頂き、月次給与や年二回のボーナスは、他の社員さんより一番多く、しかも長く支給して頂きました。
今思えばあの時…「困難を極める事業運営を継がせず、ずっと自分を一般社員にさせたまま、前職企業自体の幕引きを図りたかったのかな」との親心を、抱いております。

西暦1980年代から、1990年代に掛けてバブル経済は弾けても、地方経済は比較的堅調だった時代は既に過去となり、2000年以降ITバブル崩壊を経て、 大分県内の同業企業(直接の競争相手含む)が次々と、事業所の閉鎖を行い、自分自身当初、最大の目的だった「大分県内の特定マーケットは、弊社が独占する」は、 運良く達成する事となるのですが、一方で創業社長考える事業セオリーが、各々通じなくなってしまい、更には家庭内弟妹の(敢えて書きます)引きこもりや借金トラブルも契機となって、 あらゆる社会環境変化に対応出来なくなり、自暴自棄~行き詰まりを感じていたのを、間近に感じていました。
前身企業があったにせよ、一代で事業を極めてしまうと、その「成功体験が足かせになる」場合があります、自負が強かった創業社長ゆえ、益々気持ちが一層強かったかなと改めて思います。
ただ自身の考えとして、端的に「現況を取り巻く作業プロセス標準化が、進む中~ただ職人的な感覚のみで、創業社長を後追うだけでは、とても事業拡大を見込めないし、 何より芸が無い~それは自分に続く社員(即ち現社長です)に薫陶を受けてもらい、自らはその知識を携えた、新しいマルチステージへ進むべき」。

そうして、様々かつ複雑な局面を突破し続けた自分も、少々心身が疲れていたのかもしれません、現在だから言えるかもですね。
それが社長就任後からの、焦りに繋がったかもしれません、でも…不思議と(ここまで第一期と、呼ばせて頂くなら)展開プロセスは、後悔していないですね。
反省はしきりですけど…本当に。
だから、この5年間は長いであろう人生の中で、これまで自分自身を心底見つめ直す、そしてこれからを見つめ続ける、誠に貴重な期間だったと思ってなりません。
実際この執筆時に、感涙しかかっている位ですから(半分ホントかな)。

創業社長が現世から突然いなくなって10年、いないからこそ残された自身の役割は、日に日に大きくなって行くと思われます。
前職社長就任時、いち早く「株式会社」に改組したのも、自分お得意の現在に至る「先を見る目」があったかもしれません。
自分自身の企業を敢えて立ち上げたのも、資本の繋がりこそ無いとはいえ、一重に(解禁します)「前職企業をバックアップ」する為です。
そして前職企業を(仮に一時的でも)離れているからこそ、その予測されるであろうドメスティックな展開が、極めて容易に図れる事になります。
自分がいるからこそ積年の悲願は、現実のものとなる筈ですね、更なる可能性追求の為、そして更なる永続性を強く懐く為。
(仮に)前職企業の為なら、命を賭してでもどんな厳しい交渉に臨む用意は、これまで以上に強くなりました。

前職企業の創業社長と、同じアプローチを行っていては、変化の激しい現況下で現業共々生き残っていけません。
創業社長に無いもの、即ち自分自身しか出来ない可能性を、最大限追求して大分県内~ついては現世に必要な企業となれるよう、これからも精進しなければなりません。
先だって、現在の(前職)社長が都合により、長期間不在になった時~自分の携帯電話に西日本中のご同業さんが、一斉に掛かって来ました。
「その企業はどうなるのか」と。
(経緯割愛します)長年の関係(信頼)性から、即座に自分は皆さんに、こう告げました。
「社長は絶対に戻って来る。ゆえに大分県内に今までも今後とも、新規営業展開する様な事は…みんなが許しても、この自分が許さない」と、明確に強く告げました。
一重に、長年培った外交戦略の成果が、花開いたかなと思った瞬間でした、まだまだ自分の影響力は弱まっていないと(これも解禁かな)。
現在も大丈夫?…なんて(笑)。

最後に本籍地が子供さん共々同一で、敬愛する作家の阿川弘之氏(故人)が遺した文言を、ご紹介します。
「出ずるときは人に任せ、退くときは自ら決せよ」。
まだ見ぬ景色を求めて、自分自身が持ちうるキャリアの「終わり無き第二期」が、これから幕を開けようとしております。
自分の父親を、圧倒的に越える為にも。
その前に先ず、自分自身の会社かな…みたいデス。

── 今回コラムのまとめ ──

  • 長いであろう人生は、時に「意思ある踊り場」が必要なのだろうと、痛感。
  • 会社経営とは、やはり唸るようなストーリー形成が大切であると、納得。
  • これも生涯を通した、見えざる宿命かなと、半ば諦めみたいな。
 アガワ・ハイテックソリューションズ株式会社
代表取締役社長 阿川 丈生