新府内録 社長の窓

第13回 回想~ちょいワルへの勧め

月次更新を基調としている新社長コラムも早いもので間もなく一年、11月も半ばになりました。
11月と言えば既に天上へ行ってしまった父親の誕生月です、だからと特に何も感慨は無いのですが~同じ(とは少々恐縮にて)創業社長の立場として、事業活動を通じ時折想いを馳せる時があります。
前職ではよく仕事を巡り叱られては言い争いを繰り返していた一方で、特にプライベートでは親子の立場を超えた良き相談相手であり唯一無二の同士だった様な気が致してなりません。
兄弟の末っ子であった父親は生まれる前に、自分からみた祖父を亡くし同じく祖母らから丁重かつ厳しく育てられたか否か早くから自立心が芽生えていたと推測してます、 現在の自分と同じく決して用意された傘に守られるよりは、自身が人生を歩んだ足跡を形に示して残したいと。

一つエピソードをご披露させて頂ければ、その昔地元で学校時代やんちゃな日々を送っていた父親は共に行動を共にしていた、 同じ下の名前が「まさナントカ」だった他の二人とクラスメイトから何時しか「ワルの三まさ」と呼ばれていたとの事。
例え自談だったと云えども、優等生の枠に捉われない豪放磊落だった父親を物語る格好のお話です~以前直接聞いた時にこれらを踏まえ「わが意を得たり」と即時膝を叩く思いでした。
それゆえ前職として在籍していた会社は前身があるにせよ正にその父親でなければ成し得なかった偉業と言えましょう、 常々自分が尊敬を乞う最大の理由です。勿論我々兄妹を育ててくれた御恩は書くまでもありません。

あの時父親だったらその様な経営判断に至っただろう、好戦家だった父親は様々なジャンルや形態での喧嘩へ如何に立ち向かい終息に向かわせたか、 片やまごうこと無き激情家で人一倍愛情も深かった父親は一人一人とどの様に接し、仁徳を得るになったであろう。
この世から居なくなって時間が経過すればする程、自身に対する父親への想いは反比例して存在感が増して行く一方であるのを、不覚にも感じてしまうところです。

と、このまま書いて行くと父親に対するいつもの美談的なものになって終う都合上、ようやく本コラムの本題へ~ところで”両親”は自分の物心つくまでは喫煙家であり、 一人娯楽の王様たるパチンコにも自分を連れて大分市内の某所(これが場所も覚えているんです)へ行ってました、ところがある日潔く止めてしまいます。

自身の前歯を無くしてしまう程大型バイクにのめり込んでしまったのも、自分が高校時代時に突然復活するまで一定期間止めてしまいます ~それって本人なりに良い”父親像”を子供に示したかったのを推測するにつれ、不思議と暗黙の裡に子供達へ伝播するものだ的結論を感じます。
時折日本的社会通念(儚いものです)に思慮深く配慮しつつ、自分の気持ちへは常に正直でいる。

建前と本音が交錯するビジネスセオリーでは若干損を被るかもしれないこれらスタンスを父親は終身表現していた様な気がします、 だからこそ(紙幅が限られていますので)多少の「ちょいワル的出来事」が許されたのかなと。
それらすべてを参考にさせて頂くには無理がありつつ(到底出来っこありません)、現代にアレンジしながら衆目に受け入れられるべくその遂げられなかった意思を先ず自身の手で成し得る事が出来たらと。
その時初めて天上から「お前も多少はアレか?」と、らしく遠回しに褒められるんだろうなと思います。
論理的な方程式プロセスより、当人自身の知識・知恵に基づいた感覚的才覚を誰よりも極めて大切にしていた、父親の志に今後酬いる為にも。

── 今回コラムのまとめ ──

  • 突然この世から居なくなった父親への追憶は、日に日に強くなって行くかもしれないと実感。
  • 「ワルのナントカ」と言う以上に、自分で決めた事を最期まで貫くその強靭な志は終生忘れない由。
  • ちょいワルが出来る余裕があるからこそ、普段から自分を厳しく律する事が可能な度量。そちらに尊敬を抱くかも。
 アガワ・ハイテックソリューションズ株式会社
代表取締役社長 阿川 丈生