新府内録 社長の窓

第9回 感情が先か、それとも理性か

最近この様な事を思います、ちょっと感情的な事象が多すぎないかと。

人間は少なくとも「感情の生き物」と言われて久しいこの頃、自分自身が仕事や生活の中で何か事を成して行くに「感情なくしては出来ない」と思う一方、それを掌る理性のコントロールが精神的余裕の少ないせいで多少なりともおざなりになっているから、善悪の判断欠如含め行動が本能の赴くままになる~結果的に予想だにしない出来事を引き起こしてしまう負の連鎖が・・・との由。

その精神的余裕ってどこから来るのか?自分が思うにあらゆる知見を駆使して「先を見通し、出来る限り全ての事象を予測する」事に尽きるのではないでしょうか。

ご承知の通り~個々の感情(性格も含め)を基にした人格を持つ男女が、社会的最少単位である家族を足ががりに企業社会や地方自治等へ関わるにつれ、個々の感情以上に「理性~論理的視点」を用いながら客観的判断を備えて行く、様々なプロセスを経てそれらに巡り合うチャンスがある内は良いが~無いとすれば個々の感情を半ば強引に推し進めてしまう、冒頭に書いた驚愕の国際テロや地域の事件に関わる当事者が描く共通の動機です。

前回のコラムでも触れた通り、現代に生きる我々はインターネットがもたらす情報過多で翻り~先が見通せなくなりそうな社会を生きて行かなくてはなりません。

以前と違い、俗に言う日本も含めた先進国(G7)から派生した新興国の当事者たちが更なる富を求めて、その先進国へ(一律には出来ませんが)難民として移住し既存の住民と摩擦を起こす、またはその(東アジア?)新興国が近年培ったその経済力を国力と捉え、政治のイニシアチブを捉えんがため外交問題をもろともせず、自国の主張を正当化しようとする云々。

これらは殆ど理性的なものを超える感情的な要素が引き起こされた結果であり、何かしらのセーフティマージンが働けばこの様な事は発生しないと言う風に考えます。

理性は連鎖しないが、感情の連鎖は留まる事を知らない~これが露実に物語っていると言えます。

実は何を隠そう自分の亡父は、正に感情の赴くまま生き抜く御仁でした。

詳しくは割愛させて頂くとして、自分自身のスタンスがその完全なバロメーターであり・・・それがうまく回れば極めて上機嫌な反面、一方で侵されようになれば真っ向勝負であらゆるものと対峙し~多岐な手段を用い決して一歩も引きませんでした、よく親子喧嘩で自分に向かい「あー言えば、こう言う」との事例がそれです。

そんな父親(や母親)を見ながら、反面教師としてでは無いにしろ~自身の事や会社経営に至るまで「取り乱さずに粛々と執り行う」精神性が、時系列を経ながら培って行ったのかも知れません。

その一例が、こと恋愛に関して~明らかに理性が勝ち過ぎてしまい、傍から臆病になっている様な印象の要因です。

普段クールな印象で通しながら、とあるきっかけで(取り乱さない程度に)感情へ身を任せ~「直情的に振る舞う」、そんな大人になってみたいものですが~バランシングは相当難しいようです。

解答が存在しないであろう世界秩序と、未熟を伴った自身の発展途上的人格~天秤掛けは当分終わりそうにありません。

── 今回コラムのまとめ ──

  • 理性とは精神的余裕から生まれるものであるかも
  • そもそも認められたたいが故に、感情的になってしまう恐れ。客観的実績が乏しければ尚の事。
  • 自分自身も感情的な要素が高ぶったあまり様々な経験を経ている、けど必要ない領域まで理性を働かせている懸念も(アレとか)。
 アガワ・ハイテックソリューションズ株式会社
代表取締役社長 阿川 丈生